2196515 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

第7官界彷徨

第7官界彷徨

私の第七官界彷徨

2005年5月
追原騒動記その15・
 「びなんかずらと追原うさぎ薮こぎ彷徨」
ヨーコさんお手紙有り難うございました。浅間山の見える山荘でスローライフを楽しんでいるなんて、うらやましい。
 お勧めの辻邦生・水村美苗の「手紙、栞を添えて」早速読んで見ます。さて、
第7官界彷徨のヒロイン、小野町子は赤毛ちじれ毛の娘であり、兄さんと従兄弟の炊
事係りとして旅立つ折りに、祖母が彼女の新しいバスケットに最初に詰めたものが
「びなんかずら」と桑の根をきざんだ薬でした。祖母はこの2つが赤毛ちじれ毛の特
効薬だと深く信じていたのです。
 さて、ある日、うさぎたちは七里川を渡り冒険の旅
に出ました。清澄温泉の下の一本橋を渡り、湯が滝の廃屋へ。途中にある馬頭観音の
先でいきなり立派な鹿に出会いました。双方じっとみつめあったのち、鹿は深い森の
奧に消えていきました。そしてたどりついた廃屋は、かつてのひとの暮らしがそのま
まに、伸び放題のつつじや山茶花の植え込みもありました。
 うさぎAがどんどん裏に
まわり、うさぎCもあとをついて行ってしまったので、私もこわごわついていきまし
た。裏には別に何にもなくて裏山(赤井沢ピーク)に続いていました。
 うさぎAが
「すごいよすごいよびなんかずらだよ」というので見ると、大きな木にからんだびな
んかずらが、それはそれはきれいな大きな立派な実をつけていました。翌年の暮れ、
S川温泉での忘年会のかえり、うさぎたちは、またあの湯ヶ滝の廃屋から、キンダン
沢の大洞に行ってみたくなりました。「遭難するといけないから」石橋を叩いて渡らない,堅実なO家の令嬢だった過去を持つわたしは、みかんを3つとチョコレートと水筒を持ち、うさぎAは双眼鏡、うさぎCはカメラを首からぶら
さげていました。清澄温泉から下りて川を渡り、どんどん行きました。廃屋の所をと
おりそのそばのお墓は年の瀬なのできれいに掃除して菊の花が供えられているのも見
ました。
 川にそってどんどん行き、川は県道に沿っているので、初めてでも大丈夫の
筈でした。川を渡れば県道があるのですから。崖を上り、下り「ましらのごとく」3
匹のうさぎはどんどん行きました。なんだか気が大きくなって、すごい崖もよじのぼ
り、やせ尾根のちょっとの眺望もながめました。「そろそろ帰ろうか」ちょうど川が
あったので浅瀬を渡り、帰ることにしました。川からの急な崖を上りどんどん行くと、
何と、また川があったのです。「ここはどこ?」うさぎたちは不安に駆られました。
 この川を渡ったらどこに行くのか。全くわかりません。そして崖はうさぎたちには越
えられない程深かったのです。「川を越えて道に出なくては」それだけを思って、暗
い森や急な上りをどんどん行きました。夢中で「アタックナンバーワン」の歌を歌い
ました。なぜこの歌だったのか今もって不明。ただ「だけど、涙が出ちゃう。女の子
だもん」のところは妙に全員が大きな声になっていたので、泣きたかったんでしょう
ね。
 だんだん暗くなるし、みんな無口になるし、みかんは食べ終わってしまうし、と
いうところで、崖の下が川ではなく道になっていて、なんと車の音がするではありま
せんか。夢中で崖を走り落ちると、そこはS岩温泉の奧の県道でした。ちょっと30
分くらいのつもりで山に入って恐い思いをしましたが、私たちは下り道の県道を何事
もなかったように口笛を吹いて車の所まで帰りました。お正月のお飾り用の榊の枝を
軽トラに積んだおじさんが手を振って走り去りました。それ以来、私たちはプラスチッ
クの可愛い呼び子の笛をうさぎAに買ってもらい、いつも首からぶらさげています。
最後の方は疲れと不安で声も出なかったのです。あとから考えると、川が大きく蛇行
していたんですね。




2005年10月
 我が、第七官界彷徨が、1番目に登場したので、書かないわけにはいきません。東京新聞の夕刊に俳人の千野帽子さんが、「お嬢さんの本箱」としてガーリッシュ論を始めました。どうも50話以上続くらしいので、そんなにあるのかと心配。
 ガーリッシュとは、私にとって聞き慣れない言葉です。ガーリックと間違えそう。でも、ガールのガーリッシュと思えば意味がわかりますね。

 千野帽子さんは成人男性だそうですが、ちょっとだけ文学好きの女の子の気持ちがわかるようです。
「それにしても、21世紀にもなって、いつも本を2冊以上ー読みかけの本と出先でそれを読み終わってしまったときのための本と-鞄にいれて持ち歩いてあなたや私は、IPODの時代に蝋缶管蓄音機を鳴らしているような、レトロ趣味の絶滅危惧種なのかもしれません。」などと泣かせる言葉を吐いています。

 本屋のベストセラーについても、「でも、ベストセラーは、ふだん本を読まない人が買うからベストセラーになるのであって、貴女のような本好きのための本がそこにある確立は、それほどたかいものではないはず・・」

 「ひとりでいる時間を大切にする、聡明で誇り高いお嬢さんにお薦めするのにふさわしいセレクトになりますかどうか」と、毎日連載がはじまりました。

 尾崎翠の第七官界彷徨は、「奇妙な抒情」「新鮮な文章と意表をつくディテール」「哀愁と笑いとが企業秘密的配分でブレンドされて、他の作家にはなかなか真似できない、こみいった味わいのトホホ感に仕上がっています。」とあります。

 私としてはなんかしっくりきません。どこかなあ、この批評はほとんど合っているけど、違うんです。

「この小説を前にして平然としていられる女子は乙女失格とまで言われる、定番中の定番を、まずご紹介させていただきました。ガーリッシュを語るときに、避けて通れないさくひんですからね。」とありますが、さけて通ってもかまわないけど。

 なぜ違うかといえば、どこもおかしくないから。笑いがこみあげるところなんてどこにもありません。トホホ感なんて失礼だわ。と、大まじめに私はいかってしまいますね。帽子さんは、この作品を、渡された資料の中からただ書いただけなんじゃないですかね。津野裕子の絵も、イメージ違いです。

 と、厳しいことを言っておいて、翌日の野溝七生子が、1923年に発表した「山梔」(くちなし)は、大いに興味をそそられました。私はまだ読んでないけど、フロンフロンの大のお気に入りなんです。

「私はいま、ここにいていいのか。ここが私の居場所でないなら、私はどこにいけばいいのか。」大問題をかかえながらの、心ときめく阿字子の読書体験と、兄嫁との確執などが書かれているようです。読んでみたいと思いました。この日の津野裕子さんの挿絵は、良かったです。今日は何かな? 

2005年
 はじめは、第七官界彷徨への思い入れの深さゆえに、素直になれない私でした。ガーリッシュの捉えかたも思い込みゆえにちょっとちがうかな、と思っていましたが、「りゅうたんじ雄」(漢字に変換できない)の「燃えない蝋燭」、舞城王太郎の「阿修羅ガール」津島佑子の「燃える風」、山尾悠子の「月蝕」、反対に須賀敦子の「遠い朝の本たち」いろんなゆれうごくお嬢さんたちのガ-リッシュに触れることができました。

 夕方になるのが、毎日楽しみでした。

 疑似恋愛をしたって、いちばん大事なのは自分。拗ねるのも甘えるのも嫌い、そんな人を見ると「ばっかじゃない」とさげすんでしまう。なのに実際の自分は拗ねて甘えてばかり。目立ちたくはないけど、ないがしろにされるなんて許せない。

 どうしようもない自分をかかえて、私だって「ガーリッシュ」。一番近いのは山尾悠子の「月蝕」の11歳の娘「ますほ」かな。津野裕子さんの絵のますほの、強い視線がすっかり気に入りました。まるで昔の私みたい。

 今日は、読者のみなさんへの千野帽子さんのメッセージでした。
「きょうでお別れだってことは、最初からわかっていました。第1夜と今夜を除く57夜、毎晩違う本を取り上げてきたなかには、貴女がよくご存じのものもあれば、初耳のものもあったことでしょう。自分の意見はできるかぎり控え、本の魅力を伝えることをいちばんに考えました。」

「57ではとても足りません。どの本を選ぶかではなく、どの本を選ばないかで悩みました。」

「私は今夜かぎりでお便りする方法を失ってしまいます。来年は「ユリイカ」の特集」「ニートと文学」「稲垣足穂」や「水声通信」などの雑誌を放浪しながら、出張版文藝ガーリッシュをやっていきます。」

「批評家でもなんでもない、ひとりの読書好きにすぎない私に、貴女に届く言葉を用意できる自信などあるはずもなく、最初の2ヶ月は落ち込んでばかりでした。そんなときです、貴女が「だいじょうぶ、届いてるよ」と言ってくれたのは。」

「きょうという日がくるのが、どんなに悲しかったことでしょう。せっかくお友達になれたのに、またクラス替えだなんて」

 これを書き終えたら、私は来月から3月末まで渡欧します。巴里から、ヘルシンキから、倫敦から、きっとお手紙書きます。そして春には必ず日本に帰ってきます。最後まで読んでくれて、ほんとうにありがとう。」

 ああん、終わっちゃったのね。寂しいなあ。毎日きりぬいて、鎌倉半月の箱(サイズが横長でちょうど良かったの)にしまってあります。でも、ぜひ単行本にしてくださいね。

 千野帽子さんのホームページは
http://www.bungakushojo.com/ だそうです。巴里のお便りも楽しみにしています。長い間、本当にお疲れさまでした。良いお仕事していただいて、ありがとうございました。

2006年/10月
 通販生活で小森陽一くんの連載「文庫本で読む女性作家の名作」第4回に、尾崎翠をとりあげてくれたので、人のを読むばかりではシンパシイの名がすたると思い、通販生活を購読することにしました。前も買っていたのですが、期限が切れると再契約が面倒で、しばらくのご無沙汰だったんです。原発を止めてほしい話とか、憲法の本の宣伝、チェルノブイリのこどもたちへの支援、自衛隊の海外派遣、など、あって、これが商品への信頼度も高まり、たくさんの読者をひきつけているんだと思います。

 小森くんの書き出しは
「尾崎翠は21世紀の文学者です。正確に言うと、20世紀前半に主要な作品を生みだしたにもかかわらず、世紀末から新世紀にかけて、本当の愛読者を生み出した小説家ということになります。」
 と、あります。

 気恥ずかしいけどそういわれると私も本当の愛読者の一人に入れてもらえるのかしら?

 近代日本文学を大学で教えていた小森陽一くん、(知識は憲法9条だけじゃなかったのね)彼の体験から言うと、80年代後半あたりから、2年に1度くらい、「尾崎翠が好きです!」という女子学生に出会うようになったということです。その頃は「これは内緒にしておいてほしい・・」という感じだったとか。

 彼が今の職場(東大大学院)に移った1991年頃から読者状況はすっかり変わり、「1968年革命」前後の世界同時的激動時代を生きた母親たちから、尾崎翠の文学テクストを手渡されていた学生たちはみな、フェミニズムの洗礼を受けており、「尾崎翠が好きです!」と、堂々と言うようになったようです。

 今年秋、1998年に「第七官界彷徨・尾崎翠を探して」で世界的反響を呼んだ浜野佐知監督が「こおろぎ嬢」を完成させたとのことです。楽しみですね。



2006/10月
 毎日、夕刊で千野帽子さまの文藝ガーリッシュを読むのを楽しみにしています。12回目は千野帽子さまのご専門の俳句についてでした。

 先日の杉田久女の続きですが、(これは私の考え)虚子は政治家であり、俳句道を極めたかった久女の熱心さがが邪魔だったんでしょうね。
 箱根丸で渡仏のおり、九州のお弟子さんたちが見送りに行った時、虚子は門司市長の案内で、そのへんの名所旧跡をめぐるドライブに行ってしまったそうです。
 虚子の名は俳句の歴史に残るかもしれないけど、彼の俳句は一つも残らないような気がします。久女の俳句は残ると思いますね。
 ○足袋つぐやノラともならず教師妻
 時代が変わっても女性の生き方の永遠の課題とともに。


 さて、千野さまのとりあげたのは池田澄子さまというかたの「空の庭」
 なんとこの俳句で俳人千野帽子さまの今日があるのだそうです。

 こんなふうに書かれています。
『短歌がギターを持って夜の町で歌うのに似ているなら、俳句はターンテーブルで曲を繋ぐのに似ている。』

『俳句をやってみようかなと思ったきっかけになったいくつかの句は、いまでも私にとって不動の位置を占めています。そのひとつがここにあげた
○じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
 なのです。甘ったるいポエム俳句とは無縁の、言葉の厳しい選択眼がここには働いています。しかも、一読した瞬間にはその厳しさを感じさせず、知的で軽やかな遊び心が伝わってきて、思わずうっとりしてしまう。
 1986年のこの句を含む池田澄子の第1句集「空の庭」には、1975年から87年までの214句が作者自らの撰で年代順に並べられています。』
 とのこと。

○的はあなた矢に花咲いてしまいけり
○これ以上待つと昼顔になってしまう
○ピーマン切って中を明るくしてあげた
○私より彼女が綺麗糸みみず
○月の夜の柱よ咲きたいならどうぞ

 などの句が紹介されています。中でも私が好きになったのは
○生きるの大好き冬のはじめが春に似て
 すっごくいいなあと思いました。

 池田澄子さんの俳句、久女お姉さまならどう評価するでしょうか。
「あらあら、現代のお嬢さんはこんな句をお作りになるのね」と寛大でしょうか?
 でも、虚子先生が
「やはり若い娘の感性は素晴らしい」
 なんてかわいがったら
「キーッ」となってお怒りになるでしょうか?

 文芸ガーリッシュは、今回英米文学ものが多くて、日本人にはマニアックとしか思えません。
 例えばシャーロット・ブロンテは「ジェーン・エア」ではなくて「ヴイレット」ジャネット・ウインターソンの「オレンジだけが果物じゃない」(これは図書館になくて、かわりに同じ作者の「さくらんぼの性」を借りました)「白い糸で縫われた少女」「夏の黄昏」「地下鉄のザジ」(これは読んだ)・・・・

 そしてこの前のように、「読者が本を選ぶのではなくて、本が読者を選ぶのです」という呪文のようなお言葉がちりばめられて・・・。
 秋の夜長が足りません。






2006/12月
 今日は冷たい雨の日だったので、くびまきをぐるりと巻いて頭の後でしばり、赤と紺のチェックの綿入れ半纏を着て、小野町子の気分になって、かなしい気持ちでクリスマスケーキの最後のひとかけを食べました。

 なぜ悲しい気持ちかと言えば、文藝ガーリッシュの連載が、もうすぐおしまいになるからです。昨日は「最後から四通目のお手紙」で、千野帽子さまが、うらわかき頃に出会った尾崎翠に惹かれた理由、など、今日は「最後から三通目のお手紙」です。ゆりかちゃんはどうしていらっしゃるかしら?きっとやっぱり哀しい思いで夕刊をみておいでなのでしょうか?

 今日の書き出しは
「そんなわけで尾崎翠の『第七官界彷徨』を読んで「これはまるで自分のために書かれたもののようではないか」と勘違いした十代の私は、引き続きほかの本を読みながらも、『第七官界彷徨』の世界から出ることができませんでした。」

 そこで、ほかの日本文学を読む気をなくした帽子さまは、海外ものの翻訳や原書、日本でいえば尾崎翠が登場する以前のもの・・・という徹底ぶり・・・。
 
「この手の読者は、他人が書いた太宰治論なり尾崎翠論なりに、「そんなことどうでもいい」「全然違う」と文句をつけるしかできないくせに、「この作品の魅力は言葉では説明できない」と言うことで、自分は語る言葉を持たぬことは正当化するものです。
 『第七官界彷徨』を「まるで自分のため」と勘違いしているあいだは、所詮『第七官界彷徨』自体よりも、「それに没入している自分」のほうが大事な人なのです。」

 そうなんです、そうなんです。

「<優れたものは我々を一時はそれしか我々の前にないといふ錯覚に陥らせる方向に働く>けれど、それは所詮錯覚なのだと、吉田健一は遺著『変化』で書いています。(中略)
 なにかを「まるで自分のため」と勘違いするということは、それ以外のものは他人のためだから要らない、と思うことにつながります。「まるで自分のため」と思える本と出会えたことは、とても幸運な体験だけど・・・」

 そののち、近現代日本の小説を意識的に読み始めたと・・・。
 中途で入れた私の合いの手「そうなんです。そうなんです」は、もし私がこの文章の書き手であったなら「チッ!わかったふうなふりすんじゃないよ!!」と毒づくかも。
 自分のために書かれたと錯覚しているうちは、第七官界彷徨を他の人と共有するなんでできないのですもん!!

 ところで今日ニャゴさんからメールが来て、一月に荻窪で「第七官界彷徨」の映画が上映されるとのこと。行かなくっちゃ!!映画は共有できます!!

 そうそう、今日の沼野みつよしさんの文藝時評に、見知らぬ作家さんの作品が紹介されていました。宮崎誉子さん。『群像』に発表した「三日月」という作品は
「今日、弁当忘れて財布も忘れて昼飯抜きかよ!!」といったギャル喋りをちりばめた作品。冒頭の一文からして、相当なもの。「面倒な母親は娘が生まれて三日目に夫に突然捨てられたせいで、必要以上に娘を生き甲斐にする困ったちゃんになったので、耐えられなくなったあたしは高校を中退して、家を出て一人で生きてゆく決心をした」そして、「あたし」つまり、まだ十七歳の凉子は寮に住み込み、会社で単純労働に明け暮れるようになるのだが、職場での作業や人間関係を中心に小説は以外なほどまっとうに展開していく。

 この軽い口語的文体から、これほど前向きな「労働小説」が出てきたことには、驚かざるをえない。確かに何か新しいものが日本文学で動きはじめている。」
 と、書かれていました。読んでみたくなりました。


© Rakuten Group, Inc.